ジョブズが亡くなって4年が経過しましたが,その間iPad miniが登場し,iPhoneの画面は大きくなり,この度さらにスタイラス(Apple Pencil)とキーボードを使う巨大なiPad Proが登場するなど,Appleは順調に製品ラインを増やし続けています。
低迷したAppleにジョブズが復帰した際に,製品があまりにも多く,フォーカスしていないとして,計画していた製品のうち70パーセントの製品を削除したのと対照的だと感じます。
でもそれは,ある程度しょうがないことなんでしょう。
ジョブズのような稀代のビジョナリーであればこそ,「この方向が間違いないんだ」とフォーカスすることができました。そしてそのようなフォーカスによる資源の集中と,目指した方向性の正しさ(結果的に正しかった)によって,素晴らしい製品を生み出すことができました。
しかし,そのような特殊な才能は失われてしまった以上,製品を絞るという大きな賭けにはなかなか出られません。
手探りで進まざるをえない以上,ある程度枠を広げて,マスに受けそうな製品を作っていかざるを得ません。
iPad mini,大画面iPhone,Apple Watch,iPad Proなどは,本質に根ざした製品というよりは,「ビジネス的」に生み出されているように感じられます。
IT業界の状況の変化は激しいので,何が「正解」になるかはわからないですが,ジョブズの寿命がもう4年長かったとしたら,もっと全然違った世界になっていたのかもしれないと思うと,返す返すジョブズの早逝は残念でなりません。
亡くなったジョブズは生き返りはしませんが,iPad Proという製品がどのようなものかを占うにあたって,ジョブズの残した言葉は,今でも参考になるところが多いのではないかと思っています。
2010年に初代iPadを発表した時,ジョブズはkeynoteで以下のように語っていました(以下は適当な意訳です)。
我々の多くは,スマートフォンとノートPCを使っている。
問題は,スマートフォンとラップトップの間に新しいカテゴリーの製品が入り込む余地はあるのか?ということだ。
その製品は,何らかの作業について,スマートフォンやノートPCで行うよりも,ずっと快適にやれる,というものでなければならない。
そうでなければ存在意義がない。
そして,ジョブズは,その文脈において,ネット閲覧,メール,写真・動画・音楽鑑賞,ゲーム,読書については,画面の大きいタブレットがずっと快適にやれるとして,iPadを世に送り出しました。
上記のジョブズの言葉は,ある意味タブレットという製品カテゴリーの本質を語っているものであり,今の時点においてもあてはまるのではないかと思います。
ノートPCとスマートフォンは既に存在していて,多くの用途において事足りている,ということが所与の前提だということは今でも変わりありません。
むしろ,iPadの登場によって一応タブレットというものが存在するようになった以上,これから出る製品については,より空隙というのは少なくなっているともいえます。
その中で,新たな製品が存在意義を持つためには,何らかの点で,ノートPC,スマートフォン等,既にある製品群よりも,快適に行うことができなければなりません。
ではiPad Pro(12インチ)は,何らかの作業を行うにあたって,「ずっと快適である」といえるでしょうか。
Apple Pencilを使う用途については,おそらく言えるんでしょうね。これを目的とするならば,十分アリな気がします。
一方で,ネット閲覧,メール,写真・動画・音楽鑑賞,ゲーム,読書については,ノートPCないしもっと軽い既存のタブレットの方が快適だと思います。少なくともiPad Proの方が「ずっと快適」だということはないのではないでしょうか。
動画・音楽鑑賞については,iPad Proのスピーカーは良さそうですが,それにしても,音質だけならノートPC等で十分良いものがあると思います。
それよりも何よりも,まずiPad Proは重すぎだと思います。
「画面が大きいから重くなる」というのは単なる技術上の制約に過ぎないわけで,その点を捨象して考えると,手に持って使う製品については,せいぜい500グラム程度以下でないと気軽には使えないですよね。
iPad Proは713グラムということですが,その重さだと多くの場合結局置いて使うことになるでしょうし,置いて使うなら別にタブレットである必要性に乏しくなります。
フルのOSが走る普通のPCの方がよっぽど使い勝手はいいと思います。
そういうわけで,iPad Proについては,個人的には,Apple Pencilを使う用途では使わないので,500グラム程度の軽さにまでならなければ,購入候補には入らない,という結論になりました。